アフリカ/アジア 文化遺産 (iv)/(v)/(viii) の世界遺産
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アフリカ/アジア, 文化遺産, (iv)/(v)/(viii), 危機遺産/イスラム教/壁画
「危機にさらされている世界遺産リスト」に登録されている遺産を指す。
登録遺産が重大かつ明確な危険にさらされており、世界遺産条約に基づく援助が当該遺産に要請されているなどした場合、世界遺産委員会により危機リストに登録される。
リストに登録されると世界遺産センターや各国政府、民間企業などから財政的及び技術的支援を受けることが出来る。
検索結果 112 件中 61〜80 件表示
並び順 :
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東大寺、興福寺、春日大社、元興寺、薬師寺、唐招提寺の6社寺に春日山原始林、平城京跡を合わせた8ヵ所からなる奈良の遺産。
8世紀に日本の都であった平城京では、仏教興隆政策のもとに数多くの寺院が建造された。
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パキスタン、カハーン川沿いに位置する城塞。
1541年、ムガール帝フマユーンを一時駆逐したシェール・シャーは重要な戦略地点ロータスに堅固な城塞を建造した。
世界最大の岩塩鉱山の上に築かれ、難攻不落であり、無傷のまま現在も残されている。
登録国 |
パキスタン |
登録年 |
1997年 |
分類 |
文化遺産
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登録基準 |
(ii)
, (iv)
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モロッコ北部に位置し、酷なで最大のローマ都市遺跡。
ヴォルビリスとはベルベル語で「夾竹桃」という意味である。
カラカラ帝の凱旋門などの遺跡が残る。18世紀のリスボン大地震で壊滅的な被害を受けたことでも知られる。
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モロッコの首都ラバトから東に130km、フェズの西60kmに位置する都市で、フェス・マラケシュ・ラバトと並ぶモロッコの四大古都の一つ。
11世紀に軍事拠点として築かれ、17世紀にスルタンであるイスマイールのもとで首都となった。ムーレイ・イスマイール廟やマンスール門などが現存しており、当時のイスラム・ヨーロッパ的様式の見事な調和を示している。
登録国 |
モロッコ |
登録年 |
1996年 |
分類 |
文化遺産
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登録基準 |
(iv)
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廬山(ろざん)は江西省九江市南部にある山で、中国文明の精神的中心地の一つとされる。
この山に残る美しい自然や、霧・霞に覆われたその幽玄な佇まいは宗教・文化・芸術の源泉となった。
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韓国南東部、慶尚北道慶州市に位置する。
朝鮮半島初の統一国家となった統一新羅王朝の金大城が前世の父母のために石窟庵を、現世の父母のために仏国寺を建立したと伝えられる。
登録国 |
大韓民国 |
登録年 |
1995年 |
分類 |
文化遺産
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登録基準 |
(i)
, (iv)
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ジョージアの首都トビリシから西へ約2000kmのクタイシに位置する。
ゲラティ修道院は12~17世紀にかけて建築された保存状態良好で壮麗なモザイク画と壁画が残るグルジア中世建築の代表的建造物。
1994年に「バグラティ大聖堂とゲラティ修道院」として登録されたが、バグラティ大聖堂の真正性と完全性を損なう改築が行われたことを受けて2017年にバグラティ大聖堂は登録範囲から外さ...
登録国 |
ジョージア(グルジア) |
登録年 |
1994年 |
分類 |
文化遺産
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登録基準 |
(iv)
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イエメン南部、首都サナアの南西約160km。
ムハンマド・イブン・ズィヤードにより建設された学問都市であり、アラブ初の大学が建設されたとして知られる。
ジャード朝・ラスール朝時代に宗教教育の都として繁栄した。15~16世紀のターヒル朝時代に衰退し、オスマン帝国の時代には忘れ去られた。今も残る86のモスクやスークに囲まれた大モスク等の建造物が多数原型をとどめて...
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ニューデリーの南に位置するインド最古のイスラム建築群。
12世紀後半にアイバクが北インド一帯を制圧した記念に作ったクッワト・アルイスラム・モスクと呼ばれるイスラム寺院(モスク)と塔である。
クトゥブ・ミナールは高さ72.5mのミナレット(塔)で、インドで最も高い石造建築物である。
登録国 |
インド |
登録年 |
1993年 |
分類 |
文化遺産
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登録基準 |
(iv)
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首都デリーにある、ムガル帝国の第2代皇帝フマーユーンの墓廟。
ペルシア人の指揮のもと作られたこの建築物は、ペルシア式とインド式の見事な融合によって完成した。
インドにおけるイスラーム建築の傑作のひとつとされており、その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えたと言われる。
登録国 |
インド |
登録年 |
1993年 |
分類 |
文化遺産
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登録基準 |
(ii)
, (iv)
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ウズベキスタン、ホラズムの中心都市の一つで、オアシスの古都ヒヴァ。
17世紀前半ヒヴァ・ハン国の都となったこの街はアラル海に注ぐ河川の下流に位置し、二重の城壁に囲まれており、内城の壁をイチャン・カラ、外城の壁をディシャン・カラという。
宮殿やモスクなどが良好な保存状態で残されている。
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マリ中部、ニジェール川中流域に位置する日干しレンガの建物が立ち並ぶ街。
金の交易地でもあり、マリ帝国時代には西欧で「黄金の都」として知られた。サンガイ帝国時代にはイスラーム化し、サンコーレ・モスクやジンガリベリ・モスクなどのモスクや多くのマドラサが建設され、宗教・学問の中心地として栄えた。
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マリ共和国、モプティ州の都市ジェンネは13世紀頃から発展した交易都市である。
もとは紀元前3世紀にボゾ族が築いた集落であったこの地は、旧市街が現存する市街地と古代都市遺跡からななっている。
交易都市となってからはトンブクトゥと内陸部を結ぶ街として繁栄した。
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チュニジア、チュニスの南約140kmの地点に位置する旧市街。このスース旧市街は9世紀にアグラブ朝によって形成された。
スースの始まりは紀元前9世紀頃にフェニキア人が築いた古代都市である。カルタゴ、ローマ、ビザンツ、イスラムと支配する勢力が変遷してきた歴史を持つ。
現在はリバトという正方形の要塞や、大モスクなどを見ることができる。
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スリランカ南部州の港町、ゴールに築かれた要塞及び城壁に囲まれた旧市街。
この地は古くから交易が行われていたが、16世紀からヨーロッパとの交易で発展した。ポルトガル・オランダ・イギリスなどが領有を争いその度に要塞化していった。
城壁内にはキリスト教・仏教・イスラム教の各施設が残る。
登録国 |
スリランカ |
登録年 |
1988年 |
分類 |
文化遺産
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登録基準 |
(iv)
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チュニジア首都チュニスの南方約160kmの地点にある聖都ケルアン(カイルアーン、カイラワーンとも)は「北アフリカのメッカ」とも呼ばれるイスラームの聖地である。
ウマイヤ朝がこの地を征服し、バグダードを模して都市が建設された。現在でも巡礼の季節には各地からイスラーム教徒が訪れている。
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オマーン北部、アフダル山脈に点在するこの遺跡群はマガン国が造営した集落の跡。
バットのネクロポリス、アル=フトゥムの塔、アル=アインのネクロポリスなどが登録範囲となっている。
ネクロポリスに残る墳墓は蜂の巣状の独特な形状をしている。
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トルコ南東部、ネムルト山の山頂に位置するネムルト・ダーは北シリア周辺を支配していたコンマゲネ王国のアンティオコス1世が、死後の自分のために建てた墳墓。
現在では墓や周辺の巨大な石像はほぼすべて崩れているが、ギリシャやペルシアの神々を配置していたという事実はこの地が両者の強力な影響下にあったことを示唆している。
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甘粛省敦煌にある莫高窟(ばっこうくつ)は仏教石窟寺院の遺跡である。
オアシス都市であった敦煌はシルクロードの中継地点として発展した過去を持つ。
南北約1600mにわたり490もの石窟があり、そのうち約400の石窟の内部には、仏教の教えを描いた壁画や仏像が残されている。
また敦煌文書と呼ばれる経典や資料が偶然発掘されており、当時を研究する上での貴重なドキ...
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陝西省西安に位置する始皇帝陵は、中国を初めて統一し国家を建設した秦の始皇帝の陵墓である。
そこには截頭方錘型の墳丘や神殿、祭祀施設があった。
陵墓周辺から陪葬坑である兵馬俑坑が発見され、大量の兵馬俑と武器が発掘された。