長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
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Photo by 長崎県観光連盟
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長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産について
・原城跡
・平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)
・平戸の聖地と集落(中江ノ島)
・天草の﨑津集落
・外海の出津集落
・外海の大野集落
・黒島の集落
・野崎島の集落跡
・頭ヶ島の集落
・久賀島の集落
・奈留島の江上集落江上天主堂とその周辺
・大浦天主堂
以上12の遺産からなる
大浦天主堂
1865年(元治2年)に完成され、正式名は日本二十六聖殉教者堂。日本二十六聖人に捧げられた教会堂は、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。完成した同年に日本の開国により来日した宣教師と潜伏キリシタンが2世紀ぶりに大浦天主堂で出会った事(信徒発見)により、潜伏が終わるきっかけとなった信徒発見の場所である。
奈留島の江上集落江上天主堂とその周辺

禁教期に潜伏伏キリシタンが島の狭い谷間に移住し、その地勢に適応しながら自らのかたちで信仰を続けた集落。
解禁後に「潜伏」が終わったことを可視的に示す江上天主堂がある。
久賀島の集落
頭ヶ島の集落
野崎島の集落跡
黒島の集落

禁教下の江戸時代頃、外海(そとめ)などから潜伏キリシタンが移住し、幕府の追及を逃れ密かに暮らしていた島で現在も島民の7〜8割がキリスト教徒とされる。
シンボル的な建築物として「黒島天主堂」がある。
外海の大野集落
潜伏キリシタンが表向きには仏教徒とし、さらに集落内の神社の氏子となり仏教や神道の信仰を装いながら、神社に密かに祀り自らの信仰対象を拝むことによって信仰を実践した集落。
外海の出津集落
外海の出津集落(そとめのしつしゅうらく)は、キリスト教由来の聖画像を密かに拝み信仰を実践した集落。
解禁後に潜伏キリシタンは段階的にカトリックに復帰し、集落を望む高台に教会堂を建てたことによって潜伏の終わりを迎えた。
天草の﨑津集落

熊本県天草市河浦町﨑津一帯の総称で、羊角湾に面した潜伏キリシタンの里として知られている。
崎津教会の内部は畳敷き祭壇はかつて絵踏みが行われていた位置に当る。
背後の海に溶け込み「海の天主堂」とも呼ばれている。
平戸の聖地と集落(中江ノ島)
潜伏キリシタンにとって殉教地として信仰し、岩からしみ出す水を聖水として採取する「お水取り」が行われていた聖なる島。
地元民は「サンジュワン様」「御三体様」「おむかえ様」とも呼ぶ。
平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)
キリスト教が伝わる以前から信仰された山や、キリシタンが殉教た島を拝むことによって信仰を実践した集落。
1549年スペイン人でイエズス会創設者であるフランシスコ・ザビエルが薩摩の地に上陸後ここ平戸で藩主の許可を得て布教を開始して以降平戸島周辺にキリスト教信徒が増えていった。
しかし、キリシタン禁教政策による厳しい統制の中多くの領民は棄教したが、ひそかに信仰を守るものがいた潜伏キリ...
原城跡
概要
登録国 | 日本 | ||
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登録年 | 2018年 | ||
登録基準 | (iii) | ||
分類 | 文化遺産 | ||
その他の特徴 | シリアルノミネーションサイト / キリスト教 |
地図
ユーザーコメント
225件のコメント
さお
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大浦天主堂
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