負の遺産/鉱山/戦争 3級 の世界遺産
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負の遺産/鉱山/戦争, 3級
世界遺産条約では定義されていないが、人類が犯した過ちを記憶にとどめ教訓とする遺産とされている。
例えば戦争や奴隷制、人種差別に関わる遺産を指すとされているが明確な定義が無いためにどれを含めるかに関してはそれぞれ見解が異なるところではある。
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並び順 :
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英名:Sado Island Gold Mines
佐渡島の金山(さどのきんざん)は、2024年7月、インドのニューデリーで開催された第46回世界遺産委員会において、日本で26件目の世界遺産として登録された。対象は、新潟県佐渡市に位置する「西三川砂金山」「相川鶴子金銀山」からなる構成資産群である。
この遺産が持つ顕著な普遍的価値は、「機械化が導入される以前の時代(江戸時代)において...
| 登録国 |
日本 |
| 登録年 |
2024年 |
分類 |
文化遺産
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| 登録基準 |
(iv)
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島根県のほぼ中央沿岸部に位置し、神屋寿禎によって開発が進められた石見銀山は、16~20世紀にかけて銀の採掘・鍛錬・出荷が行われた鉱山遺跡。灰吹法と呼ばれる精錬技術によって生産された銀は、中国朝鮮といった東アジアをはじめとして、一部は大航海時代にヨーロッパへ流出した。
2007年に世界遺産登録され、2010年に登録範囲が拡大された。
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人類隔離政策の記憶を伝える負の遺産とされている。南アフリカ南部西ケープ州、ケープタウンの沖に浮かぶ島。
17世紀より島の大部分は刑務所として使用されており、アパルトヘイトの時代に主に黒人政治犯が収容されていた。後に南アフリカ大統領となったネルソン・マンデラもここに収容されていた。
現在は博物館としてその建物・記憶を残す。
| 登録国 |
南アフリカ |
| 登録年 |
1999年 |
分類 |
文化遺産
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| 登録基準 |
(iii)
, (vi)
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原爆ドーム(広島平和記念碑)は、人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を伝える建造物である。「負の遺産」として知られている。
建物はチェコ出身のヤン・レツルの設計のもとゼツェッション様式を用いて1915年に完成させた、旧広島県物産陳列館である。その後「広島県産業奨励館」と改称された。
ICOMOSの報告書には「歴史的価値や、建造物としての価値は認められ...
| 登録国 |
日本 |
| 登録年 |
1996年 |
分類 |
文化遺産
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| 登録基準 |
(vi)
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フエはベトナム中部、南シナ海に面する旧都で、19〜20世紀に栄えた グエン朝の建造物が多く残っている。
1802年再統一されたベトナムの首都となり、サイゴンの太和殿がフエに移されるとともに、北京の柴禁城を模してその4分の3サイズの王宮が建造された。ベトナム戦争では甚大な被害を受け、その多くが破壊されてしまった。
ユネスコ事務総長をして「賞賛すべき建築上...
| 登録国 |
ベトナム |
| 登録年 |
1993年 |
分類 |
文化遺産
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| 登録基準 |
(iv)
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ボリビア南部のアンデス山脈、標高約4,000mに位置するかつて銀鉱山で栄えた都市。
1545年mこの地に銀鉱が発見された直後にスペイン人によって街が建設され、セロ・リコ(富の山)と呼ばれた銀山からの収益を背景に多くの建造物が造られた。
メスティソ様式の特徴を強く示し、旧貨幣局、サン・ロレンソ教会などの聖堂、市長の家、エレーラ邸(現大学)といった建物が現...
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ポーランドの首都ワルシャワ。
この街は第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたが、復興で街そのものが当時の記録(ベルナルド・ベロットが描いた街の風景画)を元に完全に再現された。
かつて地政学的なリスクによって、ポーランド分割による王国の消滅や他国からの侵略で幾度となく危機にさらされて来た経緯を持つ。
「再建された街」そのものが世界遺産になるのは...
| 登録国 |
ポーランド |
| 登録年 |
1980年 |
分類 |
文化遺産
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| 登録基準 |
(ii)
, (vi)
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クロアチアの南端、アドリア海に面し中世の要塞に囲まれた「アドリア海の真珠」とうたわれる美しい街ドゥブロブニク。
7世紀頃から交易の要衝として発展し、13世紀には共和制の自治都市となり14~16世紀には海上貿易で繁栄した。
ユーゴスラヴィアの内戦では旧市街が深刻な破壊を受けてしまった。このため1991年から1998年までは危機遺産に登録されていたが、ほどなく...
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ポーランド南部オシフェンチム(ドイツ語ではアウシュビッツ)に位置する。
第二次世界大戦でナチス・ドイツが作った強制収容所。ポーランドを占領したナチスはこの収容所にユダヤ人やポーランド人を連行し、強制労働をさせたり殺害したり等行った。一説にはこの地で数百万人が亡くなったと言われている。
現在は博物館となっており殺害の行われたガス室や犠牲者の衣服などを...
| 登録国 |
ポーランド |
| 登録年 |
1979年 |
分類 |
文化遺産
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| 登録基準 |
(vi)
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アフリカの西端、セネガルの首都ダカールの南沖合3kmほどの場所に浮かぶ小島。
ポルトガル人がこの島に到着したのは15世紀半ばであり、その後オランダ、フランス、イングランド等と次々支配者が変遷していった。その間奴隷の売買を絡めた三角貿易が1815年まで続けられた。
奴隷貿易の基地となった「奴隷の家」、現在では博物館になっているエストレ要塞などが...
| 登録国 |
セネガル |
| 登録年 |
1978年 |
分類 |
文化遺産
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| 登録基準 |
(vi)
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